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岡山地方裁判所 昭和54年(ワ)587号 判決 1983年3月29日

原告

兵後敏夫

ほか一名

被告

日本国有鉄道

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、各原告に対し、金一七五七万〇五八五円及び内金一六八二万〇五八五円に対する昭和五一年一月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  踏切事故の発生

日時 昭和五一年一月二八日午後五時三〇分頃

場所 岡山県御津郡建部町建部上先国鉄津山線温泉場踏切道

加害列車 岡山発津山行列車(以下、本件列車という。)

被害者 亡兵後勝俊(昭和四五年六月二九日生、以下、亡勝俊という。)

事故態様 本件踏切道において亡勝俊が本件列車にはねられたもの

2  責任原因

(一) 工作物責任

(1) 被告は、本件事故当時、本件踏切道の軌道施設を所有し、占有していた。

(2) 本件事故当時、右軌道施設には保安設備として警報機もしや断機も設置されていなかつた。

(3) 本件踏切を横断している町道八幡線(以下、本件道路という。)は、津山線が開通する以前から存在しており、周囲の部落と部落を結ぶその地域では重要な道路である。

すなわち、本件道路の沿線ないしその付近には福渡、建部上、宮地、市場、富沢、中田、西原、田地子といつた部落が存在するが、本件道路は、これらの部落間の往来において最も重要な要めとなるべき位置に存するものである(ちなみにこれらの各部落の戸数は、福渡・四一〇〔昭和五五年現在〕、建部上・一七七〔昭和五一年九月一日現在・以下同じ〕、宮地・七三、市場・一〇五、富沢・九二、中田・一八六、西原・九八、田地子・五〇である。)。そして本件道路は現在、付近の農家が農業用道路として日常的に利用しているのみならず、住宅の増大につれて、一般の生活道路といつた色彩が強くなつている。例えば建部上、宮地、市場の各部落の旭川寄りの住宅地から福渡へ出るには、本件道路が重要な幹線としての役目を果している(福渡は津山線の急行停車駅があり、商店街も並ぶ中心的な町である。)。さらに、近くには建部中学校があり、本件道路は通学路としての役割も有している。また、本件踏切の東方二~三〇〇メートルの付近には、本件道路に面して「みずほ荘」という温泉旅館があり、その隣りには建部町老人福祉センターがあり、一日中人が出入りしている状況である。とりわけ建部町老人福祉センターには毎日数十人から一〇〇人程度の老人が保養に行つており、また、集会場としても利用されているため、老人に限らず一般の人の出入りも多い。

(4) 本件踏切の見通しは、南方向に一〇〇〇メートル、北方向に三〇〇メートルと、距離からすればさほど悪いとはいえない。しかし、これはあくまで踏切の真中に立つた場合の見通しである。踏切の西側には、民家が数軒並んでおり、本件道路を西側から踏切に向つて進行する場合民家が障害となり、左右の見通しはかなり悪くなつている。また民家があるため、列車が近づく音は踏切の直近に来るまで聞こえないという極めて悪い条件となつている。また、津山線はデイーゼル機関車を利用しており、岡山方面(南)から本件踏切までの長い平坦な直線を惰力で走るため振動音が静かであり、さらに冬には北風が吹くため岡山方面(南)から来る列車の音が聞こえにくい状態となる。

(5) 右(2)(3)(4)の状況からして本件事故当時、土地の工作物である本件軌道施設には警報機のなかつた点において設置の瑕疵があつたものというべきであり、右瑕疵がなければ本件事故は発生しなかつたものである。

(6) なお、被告は昭和四六年当時本件踏切に警報機を設置することを決定しながら長期間放置していたものであつて、本件事故の後である昭和五四年三月になつて警報機としや断機を設置した。このことからしても本件事故当時、本件踏切に警報機を設置する客観的必要性があつたことは明らかである。

(二) 使用者責任

本件列車の機関士及び機関助士は本件踏切の約三〇〇メートル手前で本件踏切付近に人影を発見したのであるから、人影の位置、様子を確認した上、警笛を連続的に鳴らしたり、直ちにスピードを緩めるなどの事故防止措置をとるべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と列車を進行させた結果、本件踏切付近の線路内で遊んでいた亡勝俊に列車を衝突させたものである。従つて被告は右機関士及び機関助士の使用者として本件事故の責任を負わなければならない。

3  損害

(一) 本件事故後、亡勝俊は直ちに川崎医科大学附属病院に入院したが、治療の甲斐なく昭和五一年一月三〇日に死亡した。

(二) 亡勝俊は本件事故により左記の損害を被つた。

(1) 治療費 金一一万〇二一四円

昭和五一年一月二八日から同月三〇日まで前記病院に入院した際の治療費

(2) 入院雑費 金一八〇〇円

亡勝俊の一日平均少くとも金六〇〇円の雑費を要した。

(3) 付添看護料 金一万五〇〇〇円

亡勝俊が重態であつたため原告両名は三日間付添看護をした。この間の看護料は一人一日金二五〇〇円として合計金一万五〇〇〇円となる。

(4) 逸失利益 金二五一一万四一五六円

昭和五三年度賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計学歴計男子労働者の年間収入金三〇〇万四七〇〇円をもとに一年につき金二〇万円の養育費を一三年間要するものとし、生活費を五〇パーセント控除し、六七歳まで稼働可能なものとしてホフマン方式(係数一八・〇二四)により年五分の割合による中間利息を控除して算出した金額

(三) 原告らは亡勝俊の父母であり、本件事故により左の損害を被つた。

(1) 葬儀費用 各金二〇万円

(2) 慰謝料 各金四〇〇万円

亡勝俊は原告らにとつて唯一の男子であつた。同人の死亡により原告らが被つた精神的損害は測り知れない。

(3) 弁護士費用 各金七五万円

4  結語

よつて原告らは、各自、被告に対し不法行為による損害賠償として金一七五七万〇五八五円及び内弁護士費用金七五万円を控除した残額につき事故の翌日である昭和五一年一月二九日から支払済みまでの民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払をなすことを求める。

二  請求原因に対する認否

1  第1項は認める。

2(一)(1) 第2項(一)(1)(2)は認める。

(2) 同項(一)(3)(4)は否認し、(5)は争う。

(イ) 本件事故の発生場所は、東西に通じる本件道路(町道八幡線、幅員約三メートル)と、被告の南北に走行する津山線建部・福渡駅間の鉄道線路(単線)との平面交差する温泉場踏切道上である。

本件踏切道は、幅員二・四メートル、長さ六メートルの板敷であつて、本件事故当時すでに、大型自動車の通行を禁止する、いわゆるC規制が実施され、これがため踏切道の両側に岡山県公安委員会の大型自動車通行禁止の道路標識が設置され、かつ踏切通行者に踏切道の存在を表示するため、踏切警標(黒と黄色の縞模様でX字型・その下に「止まれ・見よ」と横書きした標識)及び踏切注意柵(黒と黄色の縞模様の柵)が設置されており、通行者が容易に踏切道の存在を知ることのできる設備となつていた。

(ロ) 本件踏切道付近一帯は、いわゆる田園地帯であつて、鉄道線路から相当距離をへだてた東側に約三〇戸、同じく相当距離をへだてた西側にも約三〇戸の民家が散在する環境である。

(ハ) また、本件踏切道の東側及び西側からの列車に対する見通距離(軌道の中心線と道路の中心線との交点から軌道の外方道路の中心線上五メートルの地点における一メートル二〇センチの高さにおいて見通すことができる軌道上の見通区間)は、南方(建部駅寄り)が約一〇〇〇メートル、北方(福渡駅寄り)が約三〇〇メートルである。

(二) 本件事故当時、本件踏切道を通過する列車は一日当たり上下三五本に過ぎず、昭和五〇年一〇月現在の一日当たりの推定換算道路交通量は一九九三(歩行者一、自転車二、原付自転車及び二輪自動車八、三輪自動車一九、二輪自動車及び三輪自動車以外の自動車で乗用に供するもの一二、その他一四の割合で計算した数値)で、昭和五四年三月末では逆に六二四と減少している。

(三) 同項(一)(6)の事実は認めるが、その事情は次のとおりであるから、右事実は本件事故当時、本件踏切道に警報機を設置する必要があつたことの根拠とはならない。

すなわち、昭和四六年二月頃、内閣総理大臣官房交通対策本部において、踏切事故防止総合対策が決定されたが、これは踏切道の立体交差化及び踏切保安設置の整備、及び交通規制の促進並びに踏切道統廃合の促進等をその内容とするものであつた。

これらの計画を実施するため、同年五月頃から、鉄道事業者(被告国鉄)及び道路管理者(訴外岡山県及び各市町村)並びに訴外岡山県公安委員会の四者間において協議検討を重ねた結果、昭和四八年六月頃に至つて、ようやく、踏切道改良のための、第一次踏切事故防止総合対策実施五カ年計画が策定され、その中で、本件踏切道については、道路管理者が、昭和四八年中に踏切道の幅員を二メートル四〇センチから三メートルに拡張することとし、鉄道事業者は昭和五〇年度中に第三種化(警報機つき)するよう計画されていた。

しかし、道路管理者側の都合により、本件踏切道の幅員が、予定どおり拡張されなかつたのでこの計画は実現しなかつた。

続いて、昭和五一年四月ころ、第二次踏切事故防止対策五カ年計画が策定され、それによると、本件踏切道については、道路管理者が、昭和五五年度中に、踏切道を二メートル四〇センチから五メートルに拡幅することとし、鉄道事業者は、昭和五三年中に第一種自動化することになつていたので、被告国鉄が予定通り工事を完了したものであつて、本件事故の発生が直接の原因ではないのである。

(四) 第2項(二)は否認する。

本件事故の状況は次のとおりである。

すなわち、本件列車はデイーゼル機関車によつてけん引する、岡山駅発、津山駅行き普通旅客列車であつて、そのけん引両数は客車六両であつた。しかして、右機関車には機関士一名、機関助士一名が乗務しており、機関士が運転室内の進行方向左側座席に、機関助士が右側座席にそれぞれ着席して、列車の運転業務に従事していたが、右機関車が、本件踏切約三〇〇メートル手前まで進行したとき、機関士が、本件踏切付近に人影を発見、続いて、約一〇〇メートル手前まで進行したとき、右踏切東側約七メートル付近の前記町道上に、幼児二名が佇立しているのを認めた。そこで右機関助士において注意汽笛(長緩汽笛一声)を吹鳴して、右幼児らに対する注意を促したうえ、時速約六〇キロメートルで運転を継続していたところ、右機関車前部が踏切手前約三〇メートル付近にさしかかつたとき、突然右幼児らのうち一名(亡勝俊)が、本件踏切に向つて走り出した。右機関助士は直ちにこれを発見し、突嗟に非常汽笛(短急汽笛数声)を吹鳴すると同時に、機関士に対し非常制動手配をとらせるべく「赤・赤」と連呼し、これを聞いた機関士は直ちに急制動の措置をとつたが間に合わず、機関車右前頭部で亡勝俊をはね、右踏切道を約一八〇メートル行過ぎて停止したのである。

なお、右デイーゼル機関車の構造は、全長一四メートルで、そのほぼ中央部に運転室があり、その前後にはボンネツトがあつて、この部分が視野をさえぎるため、直線区間では、運転室左側の機関士席からは、最大限、機関車の右前方約七〇メートルまでの区間が死角となつて見えないので、その部分の前方注視は、右側に乗務している機関助士が行うことになつていた。

従つて、本件事故の際も、亡勝俊らが本件踏切に向つて走り出したときの状況は機関士席からは見えなかつたものである。

3(一)  第3項(一)は認める。

(二)  同項(二)、(三)は知らない。

4  第4項は争う。

第三証拠〔略〕

理由

一  踏切事故の発生

請求原因第1項の事実は当事者間に争いはない。

二  責任原因

1  工作物責任について

(一)  請求原因第2項(一)(1)(2)の事実は当事者間に争いがない。

(二)  原本の存在及び成立につき争いのない甲第一一号証、成立に争いのない乙第一号証の一ないし一六、第六号証の一ないし三、に検証の結果を総合すると、昭和五六年一月二六日の時点において本件踏切及び本件道路とその付近は別紙第一ないし第四図表示の状況にあつたことが認められ、本件事故当時もほぼ同様の状況であつたものと推認できる。そして成立に争いのない甲第一〇号証の一ないし一一、乙第一号証の一ないし一六、成立に争いのない乙第二、第三、第一〇号証、証人丸川和己の証言、検証の結果に弁論の全趣旨を総合すると、本件事故当時、本件踏切道は幅員二・四メートル、長さ六メートルの板敷であつたこと、本件道路は昭和五〇年一二月一日から大型車の通行を禁止する、いわゆるC規制が実施され、そのために本件踏切道の両側に大型自動車通行禁止の道路標識が設置されていたこと、通行者に本件踏切道の存在を表示するため、踏切警標(黒と黄色の縞模様でX字型・その下に「止まれ・見よ」と横書した標識)及び踏切注意柵(黒と黄色の縞模様の柵)が設置されており、通行者が容易に踏切道の存在を知ることができたこと、本件踏切道の東側及び西側からの列車に対する見通し距離(軌道の中心線と道路の中心線との交点から軌道の外方道路の中心線上五メートルの地点において見通すことのできる軌道上の見通区間)は南方(建部駅寄り)が約一〇〇〇メートル、北方(福渡駅寄り)が約三〇〇メートルであつたこと、本件事故当時、本件踏切道を通過する列車は一日当たり上下併せて三五本に過ぎず、昭和四七年八月現在の一日当たりの実測換算道路交通量は一六六五、昭和五〇年一〇月現在の推定換算道路交通量は一九九三であり、本件事故後である昭和五四年三月末の実測換算道路交通量は六二四と減少していること(証人戸田晴雄の証言、調査嘱託の結果によると、本件事故当時、別紙第三図のの部分が仮設道路として町道岡山線を連結し、多くの人が本件道路ではなく町道岡山線を利用していたことが認められるので、本件事故当時の交通量は昭和五四年三月のそれに近かつたものと推認できる。)、以上の諸事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

また証人池本康彦・同丸川和己の各証言によると、本件踏切道では昭和三六年に訴外池本康彦が原動機付自転車で東から西へ渡ろうとした際、一時停止をして左右の確認をすることを怠つたため建部方面(南)行きの汽車の進来に気付かず、これと接触して負傷したことがあつたが、その外には踏切事故はなかつたことが認められる。

ところで工作物としての軌道施設の設置に瑕疵があるとするためには、当該踏切道における見通しの良否、交通量、列車回数等の具体的状況のもとで、当該軌道施設が列車運行の確保と道路交通の安全とを調整する機能を全うし得ない状況にあつたことが必要であるが、右に認定した本件踏切道の状況からすると、本件踏切道は右に述べた踏切道としての本来の機能を全うし得る状況にあつたものというべきである(検証の結果によると、列車の進来音は約一五〇メートル前方から聞える状況にあつたことが認められるので、この点を特に問題とする余地はない。)。従つて本件踏切道に設置の瑕疵があつたとすることはできない。

(三)  なお、乙第二・第三号証、成立に争いのない乙第四・第五号証の各一・二、第七号証の一ないし一三、第八号証の一ないし三、証人丸川和己の証言によると、本件踏切道は本件事故当時、行政上第四種踏切に該当し、警報機もしや断機も設置を義務付けられていなかつたことが認められるので、請求原因第2項(一)(6)の事実から本件踏切道に設置の瑕疵があつたものと推認することはできない。

2  使用者責任について

成立に争いのない甲第三ないし第五号証、甲第八・第九号証、第一〇号証の一ないし一一によると、請求原因に対する認否第2項(二)の被告主張する事実を認めることができ、右事実によると、本件列車の機関士及び機関助士に本件事故発生につき過失があるとすることはできず、他に過失を基礎づける事実を認めるに足りる証拠はない。

もつとも本件事故当時、亡勝俊と一緒に遊んでいた証人萩原進は、亡勝俊と共に線路内で石をいじつて遊んでいたとき本件事故にあつた旨、右認定と反する証言をしている。しかし、右証言は当時四歳六か月であつた幼児の約五年九か月後の証言であつて本件事故状況の認識の正確さに疑問があること、記憶の変容により事故前の状況を事故時の状況と混同したり、客観的に存在しなかつた事実が度重なる記憶喚起の過程で体験した事実として印象に残つている可能性のあることなどからして、たやすく措信することはできず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

三  結語

以上の次第で、原告らの本訴請求はその余の点につき判断するまでもなくいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡久幸治)

別紙

<省略>

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